あなたの山林がどこにあるか――それだけで、30年間に出ていくお金が数十万から数百万円も違ってくる。岐阜県の谷奥で育つスギと瀬戸内の穏やかな丘陵で育つスギ。樹種も樹齢も同じなのに、維持費の違いは、林業関係者の集まりでしばしば語られる話題です。
森のコストは造林・下刈り・間伐・林道補修・獣害対策と層が厚く、しかも人件費、気候、地形、行政補助といった多様な要素があります。そこで本稿では、林野庁や各県のコスト調査をもとに、日本列島を**「地域(5ブロック)× 標高(3帯)」**で区切り、平均的な維持費を見える化しました。さらに、数字の舞台裏を読み解くサイドコラムと、季節ごとの作業工程を臨場感たっぷりに追うカレンダーを加え、読者が山林の維持費の地域差をざっくりと想像できる内容になっています。
維持費の地域差を測るものさしは大きく二つあります。一つは労務単価。たとえば東北・北海道の平均賃金は全国平均を1~2割下回り、単純計算では下刈り一日あたりの人件費も安く済むように見えます。ところが豪雪地帯では除雪手当が加わり、作業できない日が増えるため人員を多めに抱える必要があり、1ヘクタール年あたり18~26万円という相場に落ち着きます。
もう一つは路網密度。中国・四国地方は拡大造林期に張り巡らせた作業道が現役で、トラックが立木のすぐそばまで入ることができます。搬出効率が高いぶん機械燃料も人件費も抑えられ、14~22万円という全国屈指の低コスト帯を実現しています。
対照的に関東・中部。都市近郊ゆえ人件費は高止まりし、奥多摩や飛騨のような急峻地形が機械化を阻みます。伐採業者が入れず手伐りや架線集材が増えるため、22~30万円へ跳ね上がる。
林野庁の令和2年度調査によると、下刈り単価は関東が中国地方の約1.7倍。数字が語るとおり、“人の値段”と“道の長さ”はコスト方程式の両輪です。
標高が上がるほど、山は美しくも険しい表情を見せます。その代償は維持費というかたちでオーナーに巡ってきます。
標高800 mを超える長野県伊那地方。冬季の乾いた寒風が若い苗木から水分を奪い、積雪が長く根元を覆います。春の融雪後に待っているのは、約3割が枯死したという無惨な光景。追い植えと防寒資材で1 ヘクタールあたり4~6万円が上積みされ、平地なら3年分の下刈りに相当する出費です。
豪雪地の林道は「金食い虫」になりがちです。凍上で割れた路盤の砕石入れ替え、排水溝の詰まり解消、そして冬期の除雪。林道設計積算基準は1 km年間80~100万円を見込めと示しています。積雪1mを超える年は、除雪だけで30万円を超えることも珍しくありません。
傾斜35度を超える尾根筋では、重量級の林業機械が入山できず、集材は架線システムか人力頼み。東京都多摩のモデル林は、急傾斜による追加人件費が平地比20%増と報告しました。機械化で削れるはずのコストが、斜面の角度という自然のルールで再び膨らむわけです。
コスト項目 | 中国地方・標高300 m・緩傾斜 | 中部山岳・標高900 m・急傾斜 |
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地拵え・植栽 | 140万円 | 170万円 |
下刈り(5回) | 100万円 | 150万円 |
間伐(2回) | 90万円 | 120万円 |
林道補修 | 60万円 | 110万円 |
30年合計 | 390万円 | 550万円 |
表だけでは実感しにくいかもしれません。中国地方の山林オーナーであれば「年3~4回の山行で済む」形となりますが、一方、中部山岳のオーナーは「毎月のように現場へ出かけ、林道の点検と雪害チェックに追われる」ことになります。
コスト差160万円は、実は時間と労力の差でもあるのです。
ここで挙げた金額は、複数の公的資料を“ブレンド”して得ています。まず造林初期費用184万円/haという数値は林野庁の実測平均で、苗木代・地拵え・植栽・初期下刈りを含む総額です。そこから“下刈りだけ”を取り出すと約87万円、造林費の47%を占める計算になります。
林道補修80~100万円/kmは、国土交通省の林道標準歩掛と中部森林管理局の積算例を重ねて導いたレンジ。補修内容は砕石入れ替え、側溝清掃、簡易舗装パッチング、除雪1回。積雪が多い地域は除雪回数が増え、舗装がある路線はひび割れ充填が高額になるため、上限が100万円を超える年もある――こうした“条件付き”をすべてメモし、今年の資材インフレ率3%を掛けて試算しました。
急傾斜追加費20%は、多摩森林科学園の「急傾斜地集材コスト比較」で、手伐り+架線が機械伐採に比べて1㎥あたり1,200円高いというデータを、平均間伐材量に当てはめて算出。つまり本稿の数字は、一つの統計に頼らず複数ソースを掛け合わせて“現実寄り”に調整してあります。
朝7時、気温3℃。谷底の薄氷を踏み割りながら林道を進む。排水パイプの中を押し流す雪解け水が冷たいが、ここで詰まりを放置すると梅雨に法面が崩れる。パイプ交換2本で2万円、転石除去3か所で3万円。春の訪れとともに維持費の第一便が去っていく。
草丈は胸、蚊柱が頬を刺す。刈払機のエンジンがうなり、燃料缶がみるみる軽くなる。2人で1 haを終える頃には、ガソリン代4,000円、労務費45,000円が消えていた。草の海に道を拓く音が、財布からコインをさらう音に聞こえる。
稜線に風が生まれるころ、除草剤タンクを抱えたドローンが滑空する。15分で0.5 ha、手刈りの半分以下の時間。オペレーター費込み25,000円は安くないが、人力下刈り25,000円の4割増しで済むと考えれば「自分の時間を買う」投資だ。
立木の幹に赤いテープを巻き、伐る木、残す木を選別する。湿った落葉がブーツに絡み、気温は25℃でも森の底はひんやりしている。安全帯とヘルメットを新調し5万円。山は秋色に染まるが、財布は淡く色あせる。
日の出とともにチェーンソーが吠え、混合燃料の刺激臭が谷を満たす。3人で10日間、2 haを伐り倒し、集材し、土場に並べる。労賃51万円、燃料高騰でトラック運搬費を1万円上方修正。伐倒した丸太が整然と並ぶ姿は壮観だが、見積書の数字の方が胸を打つ。
山は深く眠り、オーナーは役場の暖房のぬくもりを背に書類と格闘する。補助金の精算書、領収書、写真添付。スタンプを押してもらう書類は20枚近い。「紙の束より雪の方が軽い」と苦笑しつつ、ここで戻る補助金40~70%が年間キャッシュフローの命綱だ。
国の補助はどの県でも同じですが、県単・市町村単の上乗せは地域色が濃い。長野県は林道除雪費に最大90%補助、秋田県は雪害倒木の処理に1/2、奈良県は剥皮防止チューブ設置に1/2といった具合です。窓口も森林組合、農林事務所、獣害対策室とバラけているため、まずは自治体の担当部署にかけあってみることをおすすめします。
ドローン自動散布は下刈りを1回減らし、年間4万円/haの削減が確認されています。LPWAセンサーを林道沿いに挿し、路面温度と雨量を遠隔監視すれば、人が歩く点検を半分にでき、労務費30%減。さらに、伐採から植栽までを同一業者が“通し”で請け負う一貫作業システムは、段取り替えの手戻りを消して初期造林費を20%下げました。 機械が入りにくい急傾斜地ほど、人と時間を節約できるスマート技術のリターンは大きい――それがここ数年の実証林の共通した結論です。